壊れたブリキのネジの巻き方

一度壊れたカラダ(躁鬱とパニック)のメンテナスや操縦方法教えます

僕が障害者になった訳

みなさん、こんにちわ。
ブリキの住人🤖です。


今回は僕が障害者になった訳」を書いていこうと思います。


障害者になった


この言葉の通り、僕は障害者になるという選択を自分でしました。


障害者手帳を区役所に申請し、現在障害者雇用で働いています。


障害者手帳をとる前は一般就労でパートやアルバイトをしていました。
職種は主に接客業です。ガソリンスタンド、飲食、介護など。
特に接客業が好きなわけではなかったのですが、
やはり求人は接客業が多かったです。あとは工場や清掃など。
体調が不安定なことだったり、感情的な言葉をぶつける人もいたり、教えかたが雑なのに一人で仕事を任されたり、、、パニック発作(過呼吸や動悸)や鬱がでて倒れたこともありました。
20代の頃は、
仕事をする→体調を壊す→辞めて自宅療養→仕事をする
こんなサイクルを繰り返していました。
仕事の環境がよい、人間関係がよいところなら続くはず!
なんて家族に言われたり、自分でもそう思っていましたが、
求人情報にそんなことが載ってるはずもなく、、、
だんだん求人情報をみるのも怖くなってきました。


一般就労でやれるとこまでやったら、障害者手帳をとって障害者雇用を選ぶ。
30代になり、ぼくはそう決めていました。生きていくために。お金を稼ぐために。
でも正直、
抵抗はありました、、。
なんとか一般就労でやっていけないか。そう思っていました。
自分が障害者になること。
偏見を持っていたつもりはなかったですが、
自分がその立場になるという現実はなかなか受け入れられなかったです。


僕が最終的に決めたきっかけは、
精神障害者手帳は2年更新であること
 必要がなければ更新せず、一般就労の道が閉ざされるわけでないこと。
〇障害者職業センターで職業訓練を受けることができ、ジョブコーチ制度をつかって就職先と三者面談や個人的なカウンセリングなどもしてもらえること。


就労においてさまざまなサービスが受けれれることなどが決め手でした。


そしてこれらを説明して、家族に障害者手帳をとることを相談しました。
やはり、家族は複雑な顔をしていました。自分の子供が障害者になること。
ショックだったと思います。でも僕が働くためにいろんな努力をしてきたこと、そして障害者手帳をとることでサポートをしてもらえることを説明すると、応援するといってくれました。
家族に伝えるとき、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


いま、ぼくは週5日5時間のパートで事務補助をしています。いま一年半ほどたちますが、やはり体調は壊しました。前はそこで諦めていましたが、ジョブコーチや仕事場の人に支えられなんとかここまでやってこれました。


仕事をするって大事です。
お金を稼ぐ。それももちろん大事。
何より自信がつきます。
自分が稼いで何かが買える喜び。
社会の歯車に追い出され見ているしかなかった僕が廻す立場になっている。
嬉しかったです。本当に。
家族も喜んでくれました。


来年には週5時間から6時間にするつもりです。きっと何度も壁が現れては絶望してなんとかならないか道を探す日々が続いていくと思います。
正直どこまでやれるかわからないけど、
ほんとにもう無理で死にそうになったら逃げる。
それだけは決めています。
僕は生きるために働いているのですから。
逃げるけど、自分を守りために逃げまくります。
そしてなんとか生きていきます。


なんで生きてなきゃいけないときもあるけど、僕は話がしたい。大事な人と、これから出会う人と。



長くなりました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。